体癖って何?・・・はじめに知っておくといいこと

体癖について

体癖とは、人それぞれの個性の研究であり、人それぞれの人生をさらに輝かせるための技術であり、戦略であり、生き方です。

私たちの人生には、様々な問題が起こりますね。

仕事、家庭、人間関係、自分との関わり、心身の健康…

より細かく見ていけば、職場の上司や部下と関わりや、親や子供とのコミュニケーション、婚活や恋活、友人と呼べる人がいない、自分が嫌い、自信がない、体の調子が悪いなどなどなど、私たちの人生は問題ばかりと言ってもよいのかもしれません。

その一方で、自分らしい人生を謳歌して、毎日をハッピーに過ごしている人もいます。

仕事や家族や人間関係について悩むことも少なく、やりたいことをやって自分自身に光のシャワーを浴びせ続けている人が。

その違いは何でしょう?

それは、“体癖通りに自分自身の人生を生きているか、どうか”。

ハッピーな人は、自らの体癖が要求しているものを自分自身に与え、その人なりの自由と愛とを得ている、ということが言えます。

そして重要なことに、それは決して特定の体癖を持つ人だけに許された生き方ではなく、どの体癖の人でもそうなることができるのです。

自分の体癖を正確に知り、うまくいくパターンもうまくいかなくなるパターンも自覚し、うまくいかないことは今までとは異なった戦略で行動し、それらを洗練させ、昇華させていけば。

体癖という学びは、決して自分や人を”タイプ”という名の檻に閉じ込めるものではなく、「自分は○種だからダメなんだ」と諦めるためにあるのでもなく、「あの人は△種だから合わない」と可能性を閉ざすためにあるのではありません。

過去を正当化するためのものでもなく、現在の不甲斐なさに免罪符を与えるためのものでもなく、より素晴らしい未来のためにあるのです。

さて、ここまで体癖に関する姿勢を示してきましたが、ここからはもう少し詳しく体癖という学びそのものについて説明していきますね。

【体と心のつながり】

体癖は、“整体”という概念を創始された野口晴哉(のぐち はるちか)先生によって発見されました。

先生は30年以上に渡り、10万名以上の人の心身の構造を「絵画から原色を見つけ出すように」研究され、6つの型、12の種に分類されました。

体の動きや形の特徴(=体構造)が、その人の言動の習性(=癖)の特徴に結びついていることを発見されたのですね。

例を挙げると…顔や体が細長く背骨が真っ直ぐでおじぎをした時にお尻が後に出ない体構造の人は、頭(大脳)を使うことが多く論理性と想像力が豊かで、物事を善悪で判断する(上下型・一種)…

顔や体が丸みを帯びていて肋骨の下の方が盛り上がっていて無意識に体を左右に動かすことが多い体構造の人は、消化器が活発でよく食べて、善悪や利害より好き嫌いや感情で動く(左右型・三種)…といった感じに。

そういった「体と言動(=心)のつながり」を、先生は一人ひとりを丁寧に観察し、体量配分計という特殊な機械でデータをとり、その人の潜在意識を深く洞察し、6つの型・12の種を”体癖”という言葉でまとめられました。

【要求の方向】

さらに重要なことに「体癖とは、要求の方向である」。

世の中には、自分の感情に従って行動する人もいれば、何でも戦いに結びつける人もいますね。

あるいは、一人前の人間と認めてもらおうとする人もいれば、いわゆる承認欲求が強い人も。

“要求の方向”とは、そういった“心身が欲する方向”のことで、“感受性”や“価値観”、“判断基準”、“行動原理”といった言葉に置き換えることもできます。

野口晴哉先生は、大きく分けて12の種のうちの一種、三種、五種、七種、九種(奇数)は、「心身のエネルギーを外に吐き出したい」という”鬱散”を要求する傾向が濃く、二種、四種、六種、八種、十種(偶数)は「人やモノからエネルギーを集めたい」という”集注”を要求する傾向が濃い、としています。

そして、6つの“型”によって要求の方向をさらに詳細に分類し、無意識に体が前や後に動くことの多い前後型(五種と六種)は利害得失を、体の捻れ運動の多い捻れ型(七種と八種)は勝ち負けや闘争を行動の原動力としている、といったように先生はそれぞれの体と心のつながりを明確にしています。

体の無意識の動きとその動きをさせる体構造=要求の方向によってそれぞれの種の言動はある程度パターン化されているということは、すなわち「要求が満たされている人と満たされていない人とでは、同じ種であっても全く異なった言動を見せる」ということでもあることを、体癖という学びは私たちに教えてくれています。

【複合体癖】

一人の人が持っている体癖の種は単一ではなく、必ず他の種が複合しています。

というよりも、厳密に言えば私たちは誰もが12の種の特徴を持っている、と晴哉先生は著作の中で明記されています。

その中で特に濃い特徴を「何種」と呼んでいる、ということも。

その「何種」が2つ複合している人と3つ複合している人が半々くらいおり、さらに高潮と低潮の”体の波”(後述)によって濃い種が異なる人も半々くらいいます。

そのことは、主観に頼らない客観的な検査法で体を詳細に調べていけば、明らかです。

体癖の種=要求の方向が複合されているということは、”私たちの心は矛盾を起こす”ということでもありますね。

例えば、好き嫌いで行動する三種と、利害得失で行動する五種が複合されていれば、「自分の”好き”と”儲かる”のどちらを優先するべきか?」という葛藤を起こすことになりやすいですね。

「貧乏だけど好きな人と結婚すべきか?それとも好きとは言えないけれどお金持ちと結婚すべきか?」のように。

そこに家族との絆が強い人が多く人からの了解がないと安心できない人の多い二種が複合されていれば、さらに「親の言う事を聞くべきか?」という選択肢も追加されてしまうことになります。

自分は何種と何種(と何種)の複合体癖なのかを知ることは、そういった矛盾や葛藤を乗り越えることにも役に立ちます。

【高潮と低潮】

また、高潮時と低潮時とで、種そのものの行動パターンが変わる、ということもあります。

高潮とは”体が活動するのに適した時期”のことで、低潮は”体が休息するのに適した時期”のこと。

私たちの心身は生まれてから死ぬまで絶えず高潮と低潮とを、波のように繰り返します。

高潮と低潮は、基本的には“体の波”(=バイオリズム)によって起こる自然現象ですが、強いストレスを受けると高潮時であっても低潮することが確認されています。

概ね、高潮時は体癖各種の強みが出やすく、低潮時は弱みが出ることが多いです。

例えば五種という体癖は、高潮時は目標のために活発に行動しますが、低潮するとやる気が起こらず人にさりげない自慢をすることが多く見られます。

一種、三種、五種、七種、九種の奇数体癖は、高潮時にも注意が必要です。

奇数体癖は“鬱散”の傾向が強く、高潮時にハイテンションになりすぎて失敗することが少なくないのです。

偶数体癖であればそういった高潮時の失敗は目立ちませんが、その分低潮時には心の不調が強く出やすいです。

淋しさが増したり、自分と他者を比較する度合いが強くなったりして、体癖による失敗が多くなります。

【タイプ分けではない】

つまり体癖という学びは、「タイプ分け」のために活用するには、適していません。

例えば同じ二種四種七種でも、要求を満たしている二種四種七種と満たしていない二種四種七種では、全く異なったパーソナリティを持っているのです。
前者は安定感があり人との調和を大切にし困難に果敢に挑んでいくなど、二種と四種と七種の良い部分を発揮することが多く、後者はあまりよく知らない人にはおどおどしてしまうけれど近しい人にはネガティブな感情をぶつけて弱い人を見つけると威圧するなど、二種と四種と七種の望ましくない面が出てしまうことが多くなります。
さらに高潮している二種四種七種と低潮している二種四種七種でも言動が大きく異なりますし、今までの歴史や周囲の環境によっても表出するパーソナリティは異なるのですね。

体癖の“型”や“種”は、「タイプ」というよりは、私たち一人ひとりを形作る「構成要素」と捉える方が適切で、その捉え方の方が体癖を活用する上で価値が高いのです。

自分にはどんな部品があるのか?

あの人にはどんな部品があるのか?

それらの部品が有効に機能しているのは、どんな場面か?

有効に機能していない時は、どんな場面か?

それらの構成要素(=部品)を知ることで、自分自身の失敗のパターンを分析することができたり、相手と自分との違いを知ることができたり、「どうすればいいか?」を決めていくことができたりして、もっと望ましい人生に活かすことができるのです。

【各類型論と体癖との違い】

類型論と体癖の最も大きな違いは、「体を検査すれば分かる」ということ。

多くの類型論は、どうしても調べる人の主観が入ってしまいますね。

心理テストのようなもので調べるのでも、”自分を見る自分の主観”が入ってしまいます。

その一方で体癖は、客観的な検査法で確実に調べることができるのです。

しかしながらそれは、整体師であったり体癖を学んでいれば誰でもできる技術ではなく、確かな知識と技術を研鑽し、高いハードルの試験を突破した日本体癖協会認定の体癖診断士によってのみ可能であると現状は言わざるを得ません。

なぜなら体癖という学びは、それぞれの流派や個人の独自研究によって診方が異なり、ほとんどの診断が診断をする人の主観を通して行われている現実があるからです。

その一方で私たち日本体癖協会に所属しているすべての体癖診断士は、主観の入る隙のない統一された検査法で、お体を診させていただいております。

その結果、体癖診断士であれば誰が誰を診断しても、必ず同じ診断結果になることが確認されています。

【“ゆがみ”のパターン】


なぜすべての体癖診断士が同じ診断結果を出せるのか?

それは体癖とは体の“ゆがみのパターン”でもあるからです。

例えば八種であれば…

左右の膝の位置が異なり、骨盤が左右に捻れていて、顔の上顎骨が左右どちらかに寄っており、胸椎の7番や仙椎の2番を押すと圧痛があり…

といった感じにそれぞれの種には必ず共通して”ゆがみ”のあるところがあり、体癖診断士はその”ゆがみ”を正確に捉える検査法をマスターしているのです。

ちなみにこの場合の“ゆがみ”とは整体術の専門用語であり、西洋医学的に“形が崩れている状態”という意味ではなく、また必ずしも可視化されるものではありません。

それは絶対的に悪いもの・望ましくないものとは言えず、“ゆがみ”によって全体のバランスを保たれていたり、より重要な”ゆがみ”を他の”ゆがみ”がカバーをしていたりもします。

そして、“ゆがみ”を整えることで、体癖由来の不調が気にならなくなったり、体癖由来の望ましくない言動をとる頻度が減ったり、心身が軽くなったりと、様々な良い影響があることも特筆すべき事象と言えます。

それは体癖というものが私たちの心身に宿っている証拠であり、野口晴哉先生が長年の研究で見出してこられた心身のつながりが”ある”ことの証明でもありますね。

つまり、体癖とは“ゆがみ”のパターンでもあり、その“ゆがみ”は私たちの心を形作り(あるいは、心が体の“ゆがみ”を形作り)、必要があって“ゆがみ”は現れ、その“ゆがみ”を整える(=体癖を整える)ことによって、より良い恩恵がもたらされる、ということなのです。

まとめると、体癖とは…

体と心のつながりを12の種に分類した研究であり、体の“ゆがみ”を客観的に検査することで自分や他者を形作っている構成要素が明確になる技術である、ということです。

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